トイストーリー4 リアル寄りなのが嫌だったのかもな
6/24(金)日テレ金曜ロードショーで放映。
4の存在そのものを否定されていたり、3の終わり方が完璧だったのにと否定的な見方が多かったので、そんなにひどいのかと見るの怖かったけど、見てみれば拍子抜けするほど面白かったし、なによりしっくりと、これでやっと終われると納得できた作品だった。
(このサムネのボニー、目が怖すぎ)
ボニーの性格が改悪されたという意見があるけど、シンプルに成長だと捉えるべきと思う。幼稚園に入り、外の世界で個人として活動しはじめたボニー。おもちゃを作ることがそれを大きく示唆している。これからきっと友達もできて、どんどん世界は広がり変化していく。
個人的に、3のエンディングこそ納得していなかったので、4があって良かったと感じた。そもそもトイストーリーって、子供と遊ぶことを至上の喜びとする、出てくるキャラクター全てが善で完璧、子供はすべからく永遠にピュアで成長しない存在とは描かれていなかった。4を受け入れ難い人はシドの恐ろしさを忘れたのか。。!?
批評記事で読んだのだが、アメリカでは肯定的で日本は否定的な反応が多かったそう。たぶん、リアル寄りな描かれ方が受け入れ難かったのではと思う。日本人は創作キャラクターに対し、そのままでいてほしい、変わらないでいてほしいという感覚が強いように思う。スターウォーズ古参ファンのような。
なにより肝心のウッディ。1では、アンディ1一番のお気に入りであることがアイデンティティでありステータスだった。ここでもすでに新しいものが入り、お気に入りが変わる残酷さは描かれている。アンディだってボニーと同じ。
4でもまた、お気に入りから外れ、フォーキーをかいがいしく世話することで存在意義を見出そうとするウッディをそれでいいのか?と、子供と遊んだことないギャビーが問う。ギャビーは欠陥品だったので子供と遊んだことがない。そんな彼女のため、ウッディはきっかけを作る。そこにウッディは何かを得。機会を与える仕事を掴んだ。それは決して、遊ぶことも子供も否定していない。
3で大学生となったアンディが、ボニーにおもちゃたちを譲ることで大円団。これが完璧なエンディングとして高評価だけど、私は号泣しながら違和感を持っていた。いいのそれで?と。遊んでもらえることが至上の喜び、それがおもちゃ!新しい子供に引き取ってもらったから最高。本当に?と、モヤモヤとしたものが残っていた。遊んでもらえることが至上ならば保育園で幼児に遊ばれることもOKなのでは?けど、そこは墓場と表現されていた。
007/ノー・タイム・トゥ・ダイを多様性、ポリコレへの批判目線から批判する人と同じように、ポリコレでダメになったと叩く意見も見られた。
ただ、そういう人って前から見てたのかかなり疑問。前述したけど、1のトイストーリーって子供と遊んで幸せじゃなく、おもちゃたちの世界を描いていた。
007なんてダニエルの代で妙にシリアスになっただけだし。このシリアス路線だって時代の流行りに乗ったもの。ボーンアイデンティティやアメコミ実写の成功に倣って大きく路線変更したのがダニエルのボンドシリーズ。
007は、その時、大きく売り出し中の俳優を起用するし、常に時代を取り入れてる。なぜって、そうしないと生き残れないから。だから、007なりに多様性も取り入れてアップデートしていかなければ、若い世代を取り込めずコンテンツとして死を迎えるだけ。古参のファンを満足させてるだけでは、その人たちが観客でなくなった時、誰も見てくれなくなるじゃないか。
コンテンツを殺すのはファン。
実はオモチャは魂があって、人間と同じように個々にアイデンティティがあり、性格がある、人間とは別存在。それであるなら、人間に依存しつづける存在ではなく、そのアイデンティティのため人生を歩む。トイストーリーの終わりとして答えを出した作品だったと思う。
ただあのヌイグルミはグッズ展開狙いなのが見え見えで不必要に作られたのは否めない。最後の目からビームなんて、技術力を見せたかっただけのような。
あとカナダ野郎(デューク・カブーン)の声はキアヌだったのね。