日々耕作

アラフォーひとり。自分が使っている身の回りのもの、映画やドラマの感想、考えてることとか書いてます。

学校で恋愛のこと教えてほしかったと思った理由③

話がワンコに逸れたので。
母に戻します。

うちの家族は末っ子の私、兄2人。父と母。祖父母と同居。身バレするかもしれないので伏せますが、父は仕事の関係上、家にいるのは半年に1回ほど1~2週間ほどでした。長い時で1ヶ月。

自分が大人になり、母ひとりで3人の子を育てる環境は過酷だっただろうと同情が湧くようになったもの、だからそうね私をサンドバッグにしたことでお母さんの苛々を救えたのならいいの、なんて思いません。許してしまえそうなので、許せない。

 サンドバッグってどんなものだったか。
簡単に説明すると、夏休みの宿題をしないから、A市に精神病院あるから、宿題をきちんやらないとそこに入れるからね。そこは鉄格子が付いてて、家に戻れないからね。こんな感じで脅されてました。
そして、約束破ったからと、その病院の手前まで車で連れて行かれました。そこから記憶が消えちゃってわからないのですが、港の方へ移動し、車ごと飛び込んでもう死のうかと言われました。あんたが悪い子だから疲れたと。言うこと聞かないからと。
嫌だと泣き叫ぶ私に対し、じゃあ良い子になる?と。私は必死の思いで、良い子になりますとすがり、じゃああんたが良い子になるならと踏み止まってくれました。

こうやって罪を全て背負って、大人になるまでそれを疑問視することはありませんでした。でも大学生くらいのとき、謝ってほしいと泣きながらお願いして、母も泣きながら謝ってくれた(ような)記憶もなきにしもあらず。それでも結局あんたが、、あんたが、、と言ってたような感じです。
もう少し年を取ってからも、子供の頃のことで責めることがあったのですが、またそうやってお母さんを責める。もう謝ったじゃない。と言われるばかりでした。
そこで、こんなこともあったと説明しました。
町内のイベントにちょっと遅れてしまい、恥ずかしくて行けずに近所をうろうろしてから帰って自分の部屋にいたら、イベントに行かなかったことがバレたらしく、かなりひどく怒られました。ちょうどその時、ベッドで雑誌読んでたか何かしてて、ベッドにまで怒鳴り込んできて叩かれ、母は私に跨るように仁王立ちし、私は頭を腕で覆って背中を丸めて横たわり、背中をぶたれるのに耐えていて。手が止まって次に起こったのは、そのころファンだったキンキキッズ堂本光一のポスターを壁に貼りまくってたんですが、それをベリベリと破るように剥がしはじめる母。ぶたれるの終わった?なんだ?と目をやると、ニヤーッと勝ち誇ったような笑みを浮かべながら私を見下ろす母。で怯えながら見ている私の目の前でビリビリと引き剥がしてました。破いたものを私に投げつけもした。
母曰く、絶対そんなことしてないそうです。加害者の記憶力。。人間の記憶力。。

宿題してなくて怒るときは棚に入ってる教科書やらドリルやらを投げつけてきて、逃げる場もなくひたすら投げつけられてました。横には兄②の机もあり、その場にいたけど助けるということも、お母さんが去ったあとに慰めるということもなかったです。普段の宿題ではなく、夏休みの宿題。小学生ということもありぼんやりしてるけど、ある年の夏休みだけがこれほどひどかったような。
けど、これ以前から家を出ると言って、子供たちを慌てさせることはしてましたね。。この時は子供が理由ではなく、大人の家族に対してのストレスからでした。

こんな感じの小学生時代でした。高学年ころには徐々に無くなっていたような。中学生になると身長も伸びたせいもあるのか、手をあげず、むしろ私のわがままを聞き入れるようになりました。友達親子のような感じでもありました。
たぶん兄2人が反抗期に入ったからですね。2人とも身長けっこう大きいので。なので、私を味方に付けたかったのでしょう。もしかしたら反撃を怖れていた面もあるかもしれません。媚びに入ったなとその当時でも思いました。
ちなみに、次男は母の関心が薄かったせいで反抗期がひどかったです。構ってほしかったのだとか。構われたらあんな構われ方ですけど?
ごはんは一応、みんなで食べるんですけど、テレビが救いなくらい空気が重かったです。というか怖かった。私は食事終わると、さっさと親の部屋に移動して一人でテレビ見てました。

次男は家では怖くて、学校では男子の人気者でした。彼女もいたし。
高校生くらいになると風呂場で着替えるところを覗いてました。なんか開いてるな。いる。。。そっと閉めようとしたら、閉めるのを防がれたということがある。ドアがしょっちゅう少し開いていて、その時、はじめてその理由がわかった出来事。
さらっと書いてるつもりだけど結構なトラウマです。その兄は20代で結婚し、子供もいます。自分が育った家庭を反面教師にいろいろ頑張ってるようですが、なんかそれに対しムカつく気持ちがあります。それにどうしても普通に接するのが難しい。やってたことの生々しさというか恐ろしさは年を取るほど増すので、どんな顔して家族として振る舞えばいいのかと。

長男は私が小さい頃、叩かれる役目を負ってました。習い事に行きたくないという理由で。私に対するよりひどくはなかったような。でも、知らないところで被害に遭ってたかもしれない。
家族仲はその頃そんなに悪くなかったです。むしろ賑やかな方だったと思います。全員が中学に上がるともはや兄妹では口を聞かずの状態。
母はしきりに仲良くしてほしい、子供の頃はあんなに楽しく遊んでたのにと嘆くのですが、どの口が言うか。。と呆れます。母に全てを背負えというのも酷ですが。

父はどうしてたのか?母はお父さんは何もしてくれなかったでしょと記憶してるようですが、父は家にいるときは家事全てやるし、子供の面倒も見ていました。自転車に乗れるように練習にずっと付き合ったり、一緒に遊んだり。
母とは再婚だったそう。ただ、それを知ったのは結婚直前だとか。浮気もしてたらしい。小さい頃、父親っ子だったから実はムカついてたんだろうか。そして、当然のごとく姑と母は仲が悪く、いつも悪口を聞かされました。祖父母は我々孫に対しては優しく接してました。しかし悪口を聞かされてたせいか、祖父母と接することが悪いように思われ、どうしていいのかわからず徐々に避けるようになっていました。

ざっくりこれが私の育った環境です。

1年ほど前にできた好きな人(仮:柴犬さん)との関わり方で悩み、分析すると、どうしても柴犬さん、自分自身がこの母と重なり、好きという気持ちを持ってもいいのかと悩みました。
ひたすら育った環境でどんな要因ができたのかを考え、あれがこういう行動を引き起こすのだと結論を持つも、また接し方を失敗し、もはや連絡も取れない状態に。
親の虐待で苦しんだ人、アダルトチルドレンの人の恋愛の問題や悩みを検索して出てくるのは、パートナーとの接し方での悩み。付き合えてる。私はその前から上手くいかない。近い距離になる人と関係を築くのに決定的なものが欠けているんだ、うん。という総合的結論しか導き出せなかった。

私の場合、恋愛関係を作る上で見本となる存在がないけど有る。有るけど無い。そんな感じ。けど、見本がありさえすればいいとは限らない。見本が不幸が連鎖することも多々ある。なので、普遍的な恋愛の教科書があってもいいんではと思う。最近、産婦人科学会がHUMAN+という女と男の手帳をHP上でデータとしてリリースされましたね。あれに加筆してほしい。。